高田松原

 平成23年、3・11東日本大震災で、「日本百景 高田松原」は、2キロメートルにおよぶ
白砂青松は壊滅的に破壊されました。
七万本もの赤松黒松は、たった一本の松を残すのみ、砂浜も完全に消失しまいました。
 残った1本の松は最善の管理をしていますが、臨死状態です。
下記紹介内容は、平成23年3月11日午後2時46分までの事項ですが、かっての高田松
原を偲ぶため、削除せずにアップしています。

 なお、3・11東日本大震災に伴って海外からの取材者も多いのでしょう。在京の通訳の
方から、「仙台藩の重臣山崎平太左衛門」に関する取材がありました。従来、高田の砂
盛に、松を植林した菅野杢之助や松坂新右衛門についてのみ了知していたが、見どこ
が砂盛に植林を命じた「仙台藩の重臣山崎平太左衛門」に関する取材は初めてで戸惑
っています。
昭和6年に完成したと言われる「仙台人名大辞書」をみれば解決するかも?
当方、津波で全部全部が流失していますので、目下のところ仙台藩の重臣山崎平太左
衛門のプロフィールは了知していません。どなたかご存知ありませんか?

想い出の日本百景 高田松原
快適環境形成        浜田川の草刈って会

*** 高田松原展から ***これらの資料・石碑類は3・11東日本大震災で流出
 リアス式陸中海岸の中で、白砂青松が東西2キロメートルに及ぶ高田松原は、日
本百景にも選ばれていますが、この程、先人が守り育て続けてきた高田松原の価
値を再認識するため、公募により高田松原をテーマにした「名勝高田松原展」
(陸前高田市芸術文化協会主催・会場 陸前高田市民会館)が開催され、日展無
鑑査画家・白石隆一画伯の油彩など多くの作品が展示されました。
 展示された作品から現在の高田松原を地形的分野から比べて見ると、今から300
年程前の藩政時代から現在の高田松原の原型が出来上がったことが伺われまし
た。

@高田松原は、文政5年(1822年)の絵図(元禄12年(1699年)絵図の改定)で
は、「立神浜」と表記され白砂青松が描かれていますが、放浪の画人として有名
な蓑虫山人(天保7年〜明治33年)の「愛宕山眺望之図」や吉田東岬(天保7年〜
大正10年)の「横平山より松原を望む」の着色横額には、現在の高田松原と同じ
構図で描かれ、その当時から風光明媚な景勝地となっていたことが伺われまし
た。
Aまた、1900年(明治33年)盛岡中学時代の石川一(啄木)が高田松原を訪れた
時の記念写真や1914年(大正13年)平民宰相原敬の「松風自」の掛け軸(真贋論
議有り)などもありました。
         
  <このページの主な内容>
1 高田  
  松原

立神浜
2 高田松原
  を守る会
3 高田松原
<リンク>
陸前高田市観光協会
 
浜田川の草
刈って会

1 高田松原
三陸リアス式海岸の中で、2kmにわたる砂浜と松林がありました。
リアス式海岸では、「海水浴と森林浴」の機能性を持つ貴重な海岸でした。
豊かな自然に恵まれ、市民の憩いの場となっています。夏季には海水浴場として賑わう
高田松原は、詩人石川啄木や高浜虚子も来遊し、松林には、啄木・虚子の歌碑も見ら
れます。また、新沼兄弟の預選歌碑(松平恒雄宮内大臣揮毫)もありました。

その昔は、「立神浜」(地名:砂盛〜古川)と呼ばれ不毛の砂浜でしたが、寛文6年(166
6年)仙台藩の重臣山崎平太左衛門が立神浜検分時に、高田村の管野杢之助に松の
植え付けを命じました。杢之助は私財を投じて7年間で松苗18,000本を植栽。その後
3代にわたり「立神御林」の御山守を仰せつかり、松林の保護育成に努めました。また、
享保年間(1716〜36年)には、今泉村の松坂新右衛門も私財を投じ数千本の松を植
栽し、防風林の造成に努めています。かって、不毛の砂浜「立神浜」は見事な松林の造
成により、背後地は立派な農耕地・新田が開発されましたが、3・11東日本大震災で、白
砂青松も農耕地も市街地も完全に破壊されてしまいました。

                 被災前の高田松原海岸の指定状況
昭和 2年 日本百景       
      
・昭和 5年 東北十景
・昭和15年 名勝 高田松原(国指定
文化財)
・昭和33年 都市公園 新日本百景
・昭和39年 陸中海岸国園
・昭和57年 東北観光地六十景
・昭和58年 日本の名松100選  
         
・昭和61年 森林浴の森日本100選
・昭和62年 白砂青松100選  
・平成 元年  C.C.Z 整備計画策定
          (注参照)
・平成元年  日本の都市公園100選
・平成 8年 日本の渚100選
・平成 8年 海と緑の健康地域
・平成18年 日本の歴史公園100選

      注)C.C.Z.(コースタル・コミュニティ・ゾーン):地域の人々と海辺を結ぶ、ふれあいの空間
l
高田松原の「立神浜」について
 立神の地名は、全国的に散見し、特に九州方面に多いが、近隣には岩手県下閉伊郡山田
町:立神岩(岩)や宮城県石巻市:立神(地名)があります。
高田松原の「立神浜」は、気仙川の氾濫等で一夜にして田畑を埋め尽くす程の氾濫が見られ
る暴れ川や漁業との関係から、現在の地名となっている「砂盛」に神が降り立つ(降臨)場所と
して呼称されたのでしょう。漁業関係者の間では「立神浜」の潮騒が漁の判断材料となってい
たとのことです。
 また、隣接する「古川沼」は岩手県唯一の天然の湖ですが、かっての気仙川の流路の名残
でしょう。
(・・いにしえの今泉川(現在の気仙川)は高田村の内ばかり流れて浜田川の近所へ川口落ち
  し・・と記されています:文化〜天保年間:角屋敷久助翁覚牒)。
     
全国的に見た「立神」の場所分布
岩(沈)礁:40%、   海岸:27%、  地名:19%
島:6%、 山:4%、渓谷・川:3%、 神社:1%

***** 高田松原 *****
今はない日本百景「高田松原」は、リアス式海岸では唯一・弓形の砂浜が2kmも続く
「白砂の海水浴(水質Aランク)」と名勝「松林での森林浴」や各種マリンスポーツ(ビーチ
バレー・シーカヤック・ウインドサーフィン)の他、サッカー・野球・ゲートボール等も楽しめ
る『白砂・青松の海水浴場』でした。

高田松原の年間観光客入り込み数平均(1月〜12月、岩手県統計年鑑)から分析)      単位:1,000人
S57−61年
S62−H3年
H4−8年
H9−13年
H14−17年
721
753
970
1,050
1,060
平成18年は、夏期冷夏で観光客の入り込み数が激減しています。

<<高田松原を守る会>>
平成18年3月25日、「高田松原を守る会」が発足。
高田松原の松林を守り育てる活動により、次世代にを伝え残すことを目的とする市民ボラン
ティア団体で、将来的にはNPO法人化を視野にいれた活動を目指しています。現在は、清
掃活動や松苗の育成に取り組んでいます。

会員:会長 鈴木善久+賛助団体。
(趣旨にご賛同の方は、随時、加入できます)
個人会費:年1,000円   賛助団体:年3,000円

@理解を深める活動:各種講演会・森林ウオーキング・ふれあいイベント等。
A保全のための活動:松林観察通報体制・奉仕作業・利用客マナー向上啓蒙等

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